激動の時代における成功の鍵は “Slow and Steady”:ISSB、SSBJ、CSRD、米国のESG規制動向



日本は予定通り、ISSB準拠のESG報告基準である「SSBJ基準」を発表しました。プライム市場の上場企業は2028年から、時価総額が最大の企業に対し、TCFD報告に代わってSSBJ報告が義務付けられます。本基準には特に驚くべき内容や極端に挑戦的な要素は含まれておらず、日本の規制によく見られる堅実な内容になります。わずか4ヶ月前であれば、このような控えめな基準に対して物足りなさを感じる声もあったかもしれません。しかし、現在の政治的・規制的環境が変動する中で、日本の規制が持つ安定性と一貫性は、むしろ評価すべき点と言えるでしょう。社会が落ち着きを取り戻した際には、サステナブルな未来に向けた取り組みが着実に進展するという希望の証となっています。

日本におけるESG報告要件:SSBJについて

今年に入り、わずか4ヶ月で世界の社会政治的・経済的情勢は目まぐるしく変動しました。このような激動の時代において、日本の官僚制度の安定性と一貫性は、企業にとって嵐の中の避難所とも言える存在となっています。ESG報告に関しても、日本の規制は着実かつ段階的に進展している状況です。
3月には、サステナビリティ基準委員会(SSBJ)は、待望のサステナビリティ報告基準を発表しました。現時点で、本基準は主に日本語で提供されており、一部英語の要約資料も発行されています。本記事ではその内容を簡潔にご紹介いたします。
SSBJはISSB基準をベースに、日本のビジネス慣行や規制に対する要望に適合するよう報告要件を整備しました。多くの変更点は形式的なもので、例えば日本の開示スケジュールに合わせたタイムライン調整などが行われています。特筆すべきは、本基準には第三者保証の要件が含まれている点であり、これは報告義務を負う企業にとって重要な留意事項となります。


SSBJ基準は、現在プライム市場に上場している企業が採用しているTCFD報告基準の後継にあたります。多くの法令順守基準と同様に、SSBJ基準も段階的に導入され、4つのステップで実施されます。時価総額3兆円以上のプライム市場上場企業は、2027年3月までのデータを基に2027年から報告を開始する必要があります。 時価総額1兆円以上の企業は2028年から、時価総額5000億円以上の企業は2029年から報告を義務付けられます。最終的には、すべてのプライム市場上場企業が報告を求められることになりますが、この最終段階の具体的な実施時期は現時点では明確に定められていません。上記の対象以外の日本企業については、SSBJ基準に準拠した報告の任意開示が推奨されています。

SSBJ基準は、ISSB基準をベースに策定されていますが、ISSB自体がTCFD枠組みの影響を強く受けているため、報告書の全体構成に大きな変更点は見られません。 SSBJが採用する「シングル・マテリアリティ」の原則は、企業に対して環境変化が財務に与える影響に焦点を当てた情報開示を求めるもので、企業活動の環境への影響まで含む「ダブル・マテリアリティ」とは異なります。このシングル・マテリアリティに基づいた報告義務は、基準の範囲を限定し、環境変化の包括的な影響をステークホルダーと共有する機会を制限する一方で、既存の社内システムでも対応しやすく、企業の実務負担が軽減しています。こうした段階的かつ事前の詳細説明を伴う制度変更は、日本の規制制度における典型的なアプローチと言えます。日本の規制変更は、気候変動や環境破壊に対して迅速かつ抜本的なイノベーションや実行を促すには力不足な面もありますが、その一方で、世界各地で見られるようなESGやサステナビリティへの強い反発を招くリスクを低減し、透明性と強靭性を備えた企業社会の実現に向けた安定した基盤を提供しているとも言えるでしょう。

現在のグローバルESG開示状況

2020年代初頭、研究者やアクティビストの長年にわたる取り組みが実を結び、ついに世界の市場はESGを企業パフォーマンスの有効かつ不可欠な指標として受け入れるようになりました。バリュー投資の台頭とともに、ESG基準に関するファンドの透明性に対する要求も高まりました。機関投資家の動きが活発化すれば、規制の導入も時間の問題です。

当初、投資家はGRIやTCFDなどの任意基準に基づく報告書を通じて、投資先企業の環境・社会・ガバナンス情報を収集していました。しかし、任意報告の取り組みは断片的で信頼性に乏しく、各基準間の互換性も低いため、一貫した全体像の把握は困難でした。企業も投資家も、ESGに関する不完全で不正確な主張に対して、ステークホルダーや一般市民から批判を受けるようになりました。この状況を受け、主要な報告基準の多くがISSBのもとに集約されることとなりました。

当然ながら、各国の政府もこの投資の潮流とESGの誤認に関する論争に注目し、自国市場に適した信頼性の高い野心的なESG報告基準の策定に取り組み始めました。ただし、策定された基準は、企業が現実的に対応可能なものでなければなりません。 

過去5年間で、主要経済圏およびISSBはそれぞれの報告枠組みを公表しました。表1は、これらの内容を比較したものです。ただし、基準の策定とその実施は別問題であり、各国企業が対応する実際の報告要件やスケジュールは、昨年以降、相次いで見直されています。

EUの状況

EUは最も早く、そして最も包括的に対応を進めた地域です。2020年に承認された「EUグリーンディール」のもとで策定された「グリーンタクソノミー」は、環境に配慮したプロジェクトとは何かを明確に定義し、企業が自社の「グリーン投資」の金額や比率について具体的に報告できるようにしました。

この比較的成功した取り組みに続き、EUは企業に対する報告義務と規制措置を次々と打ち出しました。その結果、欧州市場で活動する企業は、CSRD(企業サステナビリティ報告指令)、CSDDD(企業持続可能性デューデリジェンス指令)、ETS(排出権取引制度)、CBAM(炭素国境調整メカニズム)といった、いわゆる「アルファベットスープ」とも称される複数の制度について理解し、適切に対応することが求められるようになりました。これらの制度については個別の詳細な解説がありますが、全体としては、企業が数多くの新基準に基づく強制的な情報開示を求められ、大きなコンプライアンス負担を強いられている状況です。

このような制度の難しさは、スピードと要求の厳しさが同時に求められる点にあります。各制度は、これまでほとんど監視されてこなかった分野に対して、十分なデータガバナンス体制の構築を求めています。既存のデータも不完全であったり、信頼性に欠けたりする場合が多く、最初に報告対象となる大企業では、新たなデータ収集体制の構築に膨大な時間と労力を投入する必要が生じています。

こうした企業負担の増大に対する懸念の声を受けて、EUは複数の報告制度を統合・簡素化する新たな法案「EUオムニバス」を発表しました。

このEUオムニバスでは、CSRD、CBAM、CSDDDを1つの報告制度に統合しつつ、一部の報告義務の対象範囲や内容を緩和することが予定されています。ダブルマテリアリティの考え方は維持されますが、移行計画の策定・実施義務の緩和、対象となる企業や製品の見直し、厳格なタクソノミー要件の一部緩和により、報告負担が大幅に軽減される見通しです

この提案の中で、現在までに正式に採択されたのは「ストップ・ザ・クロック(Stop the Clock)修正案」のみす。この修正案により、すでに報告を開始している第一段階の企業を除き、他の企業における報告開始時期がそれぞれ2年間延期されることになりました。

これまで初回の報告義務に間に合わせようと、急ピッチでデータ収集および管理体制の整備を進めてきた企業にとって、「ストップ・ザ・クロック」の採択により、その準備スピードをやや緩めることが可能になりました。一方で、CSDDDのように後続の報告義務に備えて準備を進めている企業にとっては、最終的な規制内容の確定を待つ不透明な状況が続いています。

形式的な報告のための報告は、持続可能な変革につながるものではなく、それ自体が環境に好影響をもたらす経済を生み出すわけでもありません。環境破壊を食い止め、回復へとつなげる実効的な行動こそが、本質的な変化をもたらします。報告制度はそのような行動を促進し後押しする効果はあるものの、多くの企業が最終的に「インパクトの創出」よりも「コンプライアンスの確保」に資源を投入してしまう傾向があります。

こうした観点から見ると、EUオムニバスによる方向転換は必ずしも否定的に捉えるべきではありません。確かに従来よりも柔軟な制度になっていますが、依然として企業にとっての道しるべとなる明確なガイドラインを提示しており、何よりも重要なのは、この制度がEU域内にとどまらず、EU域内で重要な事業を展開しているすべての企業が対象となる点です。

しかしながら、EUグリーンディールの縮小は、象徴的な意味で大きな後退とも言えます。EUは早い段階からグリーンガバナンスにおける世界的なリーダーとしての地位を確立してきました。それだけに、厳格なESG情報開示からの後退が、アメリカなどでの反ESG的な風潮と重なって見えることは、世界的なサステナブル経済への機運を弱める結果にもなりかねません。

アメリカの状況

アメリカは、最も遅く、最も限定的な対応となりました。もともと自主的な開示に強く依存する自由度の高い市場であるアメリカにおいて、SEC(証券取引委員会)は一定の透明性と一貫性を確保するため、気候関連情報開示規則(通称:Climate Rule)の導入を試みました。しかしこの規則は、その合憲性を巡る訴訟が提起された直後に停止されました。そして2025年3月時点で、SECは本規則の法廷での防御をすべて放棄することを決定し、事実上この規則は施行不可能な状態となりました。

この決定の背景には、政権交代による大きな政治的変化と、台頭する反ESG運動の影響があります。この流れの中で、米22州がESG関連情報の開示を妨げる、あるいは罰則を伴う州法を制定しています。連邦レベルでの包括的な立法が存在しない以上、州ごとの権限が優先される形となり、状況はさらに複雑になっています。例えば、カリフォルニア州のように、SECの規則と同等またはそれ以上に厳しいESG開示を義務付ける州がある一方で、開示そのものに反対する州も存在しています。結果として、企業は各州ごとに異なるコンプライアンス要件と報告義務のバランスを取らなければならないという、極めて断片的で複雑な状況に置かれています。

さらに、国際企業にとっての混乱要因となっているのが、最近の関税制度の変更です。これは極めて不安定な状況にあり、場合によっては企業がアメリカ市場そのものを回避する選択につながる可能性もあると見られています。

国際的な状況

EUやアメリカに続き、国際サステナビリティ基準審議会(ISSB)は、2023年に国際共通のサステナビリティ開示基準を発表しました。この基準は、さほど早期でもなく、野心的でもないものの、比較可能なESG開示の実現を支援するものとして位置付けられています。地域に依存しない自主的な中間的アプローチをとる点が特徴です。

ISSB基準は、「野心的で有用」である一方で「受け入れやすさ」も兼ね備えた設計を意図的に採用しています。これにより、企業は地域を問わず、構造が統一された開示を行うことができるため、ステークホルダーにとっても情報の把握がしやすいという利点があります。また、「シングル・マテリアリティアプローチ」を採用しているため、企業は環境破壊によって受ける自社のリスクのみに焦点を当てた開示が可能となり、導入のハードルが比較的低く設定されていることも特徴です。

日本の状況

日本で新たに発表されたSSBJ(サステナビリティ基準委員会)基準は、ISSB基準の一般的な枠組みを踏襲しつつ、若干の強化を加えた内容となっています。SSBJ基準に準拠していると見なされるには、企業は自社の排出量に関して第三者検証を受ける必要があります。基本的に、SSBJに準拠した開示は、ISSB基準に準拠した報告としても有効と見なされますが、両方の基準を活用したい企業は、表現方法や影響度の違いを十分に把握し、ISSBとの整合性を保つよう注意が必要です。また、CSRDおよびSSBJの両方への対応が求められる企業は、まずCSRDの厳しい基準に対応できるよう準備を行い、その上で得られたデータを再構成してSSBJ向けに開示する必要があります。

SSBJ基準の内容自体に特筆すべき変更はありません。パブリックコメント用の草案から大きく逸脱した点はなく、日本政府がTCFDの後継としてISSB基準に基づく方針を示してきたとおりの内容になっています。サステナビリティ関係者の間で求められている「ダブル・マテリアリティ」などの要素は含まれていませんが、現時点のESG領域で必要とされている「一貫した前進」は確保されています。

視点が揺らぎ、市場の動きも不安定な時代においては、「一貫性」が極めて重要です。一貫性があることで、リスクを取れる先進的企業だけでなく、変化に時間を要する鉄鋼やコンクリートなどの二酸化炭素排出量が多い産業を含めたあらゆる企業が、新たなプロジェクトやサステナブル金融商品への投資に踏み出すための信頼感を持つことができます。

「表2」では、ここまでに紹介した4つの地域における報告基準の概要をまとめてご紹介します。

開示フレームワークSSBJISSB (IFRS S1, S2)米SEC(通称:Climate Rule)SB253: CCDAA, SB261: CFRACSRD
対象地域日本グローバルアメリカカリフォルニア州EU
義務化義務任意義務義務義務
発行主体FASF/SSBJISSB / IFRC / IASBSECカリフォルニア州
議会
ESRS
正式名称サステナビリティ
基準委員会基準
International Sustainability Standards BoardThe Enhancement and Standardization of Climate-Related DisclosuresSB 253: Climate Corporate Data Accountability Act, SB 261: Climate-related Financial Risk ActCorporate Sustainability Reporting Disclosure
公表年2025年2023年2024年2023年2023年
初回適用予定2027年任意(各国で義務化検討中)2025年2026年第一段階:2025年(2024年データ)、2028年までに規模拡大
現在の適用予定時期2027年任意N/A2026年第二段階:2028年(2027年データ)
第三段階:2029年(2028年データ)
公表以降の変更内容現時点では変更なし現時点では変更なし
2024年:訴訟により停止/2025年:SECが法廷での擁護を中止、実施見込みなし
現時点では変更なし「オムニバス」案により報告要件の簡素化が提案/「ストップ・ザ・クロック」により報告開始時期の延期が採用

表2: 主要地域の報告フレームワーク概要表

日本の優位性:着実な移行への歩み

各国の開示規制を巡る動向から見て取れるように、環境に好影響をもたらす経済への移行は、いまだ発展途上の取り組みです。新たな道を切り開くということは、時に迷い、後退し、やり直しを迫られるリスクを伴います。

環境破壊を食い止め、理想的な回復を図るためには、迅速かつ効果的な行動が求められていることは、すでに広く認識されています。しかし、実際のアクションが混乱や一貫性の欠如により妨げられると、その効果も即効性も失われてしまいます。このような中で、日本が採用している「過度に厳格ではないが、明確で丁寧な指針を示す」というアプローチは、激しい反発を招くことなく、より包括的な移行を実現する可能性を持っています。すなわち、先行企業と高排出企業の双方が歩調を合わせ、持続可能な経済への変革を目指すという形です。

もちろん、これは完璧なアプローチではありません。最近発表された日本のエネルギー基本計画は、その限界を示す一例と言えるでしょう。しかし、少なくとも企業の立場から見ると、他国と比べて規制の不安定さは相対的に少ない状況です。

嵐の中では、どのような港でもありがたいものです。そして、ウサギとカメの童話のように、時には「遅くても着実に」という姿勢が最終的な成功につながることもあります。――ただ、このレースが20年前に始まっていればよかったのに、と思わずにはいられません。


詳しくは

修正歴
  • 報告要件の確認を受けて、SSBJの報告年度のタイムラインを修正いたしました。


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